『ロストケア』間違っていたのは目的か手段か。見たくない現実を真摯に突きつける一作。

2023.03.22

◆今週公開の注目作

『ロストケア』

日本における単独の殺人事件として最大の犠牲者が出た最悪のケースは長らく、30人の死者を出した1938年の津山事件だった。残念ながら現在では、最大の殺人事件と呼べるのは36人が亡くなった2019年の京都アニメーション放火殺人事件に上書きされてしまったが、それより先に津山事件を超えた事件があった。誰の記憶にも新しいだろう、2016年の相模原障害者施設殺傷事件である。

本作『ロストケア』のあらすじは、周りからの信頼が厚い介護士(松山ケンイチ)が実は訪問介護利用者の老人たち40人余りを殺しており、「目的は“救い”」と言って憚らない彼を検事(長澤まさみ)が調査していく…というものだ。福祉施設の職員が施設利用者を殺傷した点が、やはり先述の相模原の事件と共通している。同事件の犯人は、入所している知的障害者について「意思疎通ができない重度障害者は不幸を生む存在で、安楽死させるべき」と主張していた。周りから「ナチス・ドイツ的だ」と批判されても、この差別的な考えは変わらなかった。それどころか、どこまで本心なのか不明だが、彼はあくまで入居者本人や介護で疲弊するその家族と現場の職員の“不幸”な状況を救うため、“世のため人のため”犯行に及んだと話した。

この犯人を、単に短絡的かつ独善的な人物だったと切り捨てることは容易い。「意思疎通ができない」というのは、言葉によらない情報を常に発信しているはずの入居者の立場に立っていない一方的な言い分だし、救いたいはずの他人の意見にも耳を傾けていない。しかし、「介護に苦しむ人を救いたい」…この考え自体に共感する人は少なくないだろう。驚くべきことに、この『ロストケア』は同事件に着想を得たものではない。なぜなら、原作小説は事件の3年前に出版されているからだ。事件を予言していたとも言えるが、介護に関する社会状況が変わらないままでは、犠牲者数こそ違えどいつでも起こり得た事件だったのかもしれない。

実際に介護に携わった経験があるかどうかで、本作の印象は大きく異なるだろう。だが、その経験がない方にも伝わりやすい例があるので紹介する。2006年の京都伏見介護殺人事件だ。これは中年男性が認知症の母親を殺害したケースで、献身的に介護を続けていたが仕事と両立できなくなり困窮、母親とともに心中を決意したところ母親が「自分の子だから自分が殺してやる」と言ったのを聞いて、代わりに男性が母親を手に掛けた。自らも死ぬつもりだったが失敗した男性は、裁判で「もう一度母の子に生まれたい」と供述し、情状酌量で執行猶予付きの判決となった。2014年には、結局男性は自殺と見られる形でこの世を去ったのだが…。

介護は綺麗事では片付けられない。殺人が解決法たりうると言っているのではない。犯人ひとりを責めるだけでは何も解決しないのでないか、ということだ。鑑賞後は割り切れない思いを抱えて帰る羽目になるが、そろそろ誰もが向き合わなければならない問題なのかもしれない。いつかは自分も、またすでに日本社会も高齢化しているのだから。

【ストーリー】
早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された。捜査線上に浮かんだのは、センターで働く斯波宗典。だが、彼は介護家族に慕われる献身的な介護士だった。検事の大友秀美は、斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めた。真実を明らかにするため、斯波と対峙する大友。すると斯波は、自分がしたことは『殺人』ではなく、『救い』だと主張した。その告白に戸惑う大友。彼は何故多くの老人を殺めたのか？　そして彼が言う『救い』の真意とは何なのか？　被害者の家族を調査するうちに、社会的なサポートでは賄いきれない、介護家族の厳しい現実を知る大友。そして彼女は、法の正義のもと斯波の信念と向き合っていく。

【キャスト】
松山ケンイチ、長澤まさみ、鈴鹿央士、坂井真紀、戸田菜穂、峯村リエ、加藤菜津、やす、岩谷健司、井上肇、綾戸智絵、梶原善、藤田弓子、柄本明　他

【スタッフ】
原作：葉真中顕「ロスト・ケア」（光文社文庫刊）
監督：前田哲
脚本：龍居由佳里、前田哲
音楽：原摩利彦
配給：東京テアトル日活
製作：「ロストケア」製作委員会
制作プロダクション：日活、ドラゴンフライ
©2023「ロストケア」製作委員会