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『イニシェリン島の精霊』約束は守るためにある。どこにもなくどこにでもある島で、とびきりしょうもないのに世にも恐ろしいケンカが始まる。

◆今週公開の注目作

『イニシェリン島の精霊』

 

文:屋我平一朗(日々メタルで精神統一を図る映画ブロガー)

アカデミー賞のシーズンが近づいてきた。本作『イニシェリン島の精霊』は先日、アカデミー賞の前哨戦であるゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門で作品賞と主演男優賞、脚本賞に輝いた。アカデミー賞では作品賞・監督賞はじめ8部門9ノミネート(助演男優賞に2人ノミネート)。監督・脚本のマーティン・マクドナーは、前作『スリー・ビルボード』でもアカデミー作品賞・脚本賞などにノミネート(主演女優賞・助演男優賞受賞)された実力派だ。彼はイギリス生まれながら両親がアイルランド人で、映画監督になる前から劇作家としてアイルランドの物語を紡いできた。そして今回、これまで何度も組んできたアイルランド人俳優コリン・ファレルとブレンダン・グリーソンを再び迎え、盤石の布陣で新たなアイルランドの寓話を語ろうとしている。

友人と絶交した経験はあるだろうか。筆者にはある。理由は、相手の不義理(約束を破られた)だ。通常、ある程度長く続いた関係が断たれるには相応の理由があるはずだ。しかし、何も悪いことをしていないのに、相手からいきなり絶交を言い渡されたらどうするか。本作の主人公パードリックは、暇しかないほど平和な島に住む中年のナイスガイ、気の良い男だ。それが突然、長年の友人である年上のコルムからもう関わらないでほしいと頼まれる。なぜそのような扱いを? 彼があまりにしつこく問い質すので、コルムは本音を言ってしまう。「君は良いやつだが、君の話からは何も得るものがない。退屈だ」…。何とビックリ、悪いのは行いではない。頭だったのだ!

人間関係において、ナイスであることはもはや大した美点ではないらしい。ナイス(nice)の語源をご存じだろうか? 「無知な、愚かな」である。確かに、パードリックは数時間も家畜のフンの話を続けるような“ナイス”な男で、ぐうの音も出ないほどパア。さらに、フィドル(バイオリン)弾きでもあるコルムはモーツァルトを引き合いに出し、「ナイスなだけの人間は歴史にも思い出にも残らないが、ナイスでなくとも素晴らしい作品を生み出せば人に忘れられない」と話す。老い先短いコルムは、本音を隠すのを止めるついでに本物の音楽を残そうとしているのだ。人生を振り返る意義も、モーツァルトも知らないパードリックへの最後通告として、コルムがしたのはひとつの約束。「パードリックが話しかける度に、自分の指を1本ずつ切り落とす」。ちょきん。指切りだ。文字通り。

本作は、ゴールデングローブ賞の受賞部門を見れば分かる通り、ブラックコメディだ。そのはずなのだが、狂気的とも言えるコルムの頑固さのせいで、または度を越して愚かなパードリックのせいで、時々下手なホラーより怖い瞬間がある。本作の時代設定は1923年で、舞台のイニシェリン島からはアイルランド本土が見える。そこからはかすかに銃声や爆発音、黒煙が確認できるが、当時はアイルランド内戦の最中だった。北アイルランドをイギリス領に残すか、アイルランド全域を独立させるかで国民が二分されたためだ。彼らはついこの前まで、ともにイギリス相手にアイルランド独立戦争を戦い抜いた戦友でもあったはずなのに。

アイルランドには、イニシュモア島とかイニシュマーン島という島はあるが、本作のタイトルになっているイニシェリン島はない。ないのだが、“存在”する。これら全てに共通する「イニシュ(inis、英語ではinishと綴る)」はアイルランド語で島を意味し、またアイルランド語では古くからアイルランド島を「エリン(Éirinn、アイルランド英語ではErinと綴る)」と呼ぶ。つまり、イニシェリン(Inisherin)はイニシュ・エリン(Inish Erin)、やはりアイルランド島のことなのだ。内戦とは無縁のはずの、アイルランドのパラレルワールドのようなイニシェリン島にも残念ながら内輪揉めはある。もちろん日本にも。あなたと彼/彼女の間にも…。「契り」の語源は「手(=指)切り」とする説もあるようだが、もしも相手に大事な約束を破られたら、指ではなく縁を切るくらいで勘弁してやろう。それでもしつこく食い下がってくるなら、針千本か拳万(げんまん)か…。

【ストーリー】
本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。島民全員が顔見知りのこの平和な小さい島で、気のいい男パードリックは長年友情を育んできたはずだった友人コルムに突然の絶縁を告げられる。急な出来事に動揺を隠せないパードリックだったが、理由はわからない。賢明な妹シボーンや風変わりな隣人ドミニクの力も借りて事態を好転させようとするが、ついにコルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされる。美しい海と空に囲まれた穏やかなこの島に、死を知らせると言い伝えられる“精霊”が降り立つ。その先には誰もが想像しえなかった衝撃的な結末が待っていた…。

【キャスト】
コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン 他

【スタッフ】
監督・脚本・製作:マーティン・マクドナー

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https:// www.searchlightpictures.jp

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