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『パワー・オブ・ザ・ドッグ』 「犬の力」より映画の力。銀獅子賞にふさわしい芳醇な描写に唸れ!

この映画は、つまり―
  • 名優ベネディクト・カンバーバッチの新境地
  • 見逃してしまいそうな、けれど重要な描写で紡がれる、銀獅子賞も納得の重厚なドラマ
  • 「犬の力」とは何か?

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◆配信中の注目作 
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
Netflixにて独占配信中

Netflix視聴するこちら

 

文:屋我平一朗(日々メタルで精神統一を図る映画ブロガー)

映画やドラマをある程度観ている方なら、ベネディクト・カンバーバッチの名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。マーベル映画では魔術師のドクター・ストレンジを、ドラマ『SHERLOCK/シャーロック』では知らぬ者はいない名探偵シャーロック・ホームズを演じている俳優だ。我々が彼に持っているお馴染みのイメージは、「浮世離れしていて、頭が切れ、時に失礼だが根は悪くない人」というところだろう。しかし今回は一味違う。

1925年、モンタナ。カンバーバッチ演じるフィルは、弟のジョージと牧場を経営している。粗野なイメージのあるカウボーイだが、そこはさすがのカンバーバッチ、フィルはラテン語を話し、バンジョーの名人でもある。ここまでは良い。だがフィルの言動はマチズモ(男性優位主義)に支配されている。ミソジニー(女性嫌悪)的で、ジョージの新妻ローズにも敵意を隠さない。攻撃の矛先は女性だけでなく、ジョージやローズの息子ピーターにも向けられる。

フィルは普段、牛の去勢をしている。まさに、人の意欲を削ぐのが上手いのだ。紙で花を模した飾りを作るのが好きなピーターに向けて、「どんなレディが作ったのかな?」と“男らしさ”に欠けることを揶揄する。ピアノの上手くないローズのラデツキー行進曲に、これ見よがしにバンジョーでアレンジまで加えたメロディを被せてくる。直接的な暴力は振るわないが、ネチネチとしたいじめを繰り返すので、観客も非常に居心地の悪い思いをしなければならない。ここまで好感度の低いカンバーバッチは新鮮だ。

近年、「有害な男らしさ」が問題になっている。これまで、“男らしさ”は特に男性の中に強迫観念としてこびり付いていた。例えば、007ことジェームズ・ボンドはプレイボーイで、長年男性の憧れだった。しかし、そこに女性軽視の面があったのは否めない。最新作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』では、それを鑑みて従来の「ボンドガール」が「ボンドウーマン」という呼称に改められた。女性キャラクターを、ボンドに消費されるだけの存在ではなく、自立した人間として描くという宣言だ。

“女らしさ”を求められた経験のない女性がいないように、筆者含め、男性であれば“男らしさ”の鎖に縛られた経験があるはずだ。「男たるもの、喧嘩が強くなくてはならない」、「男たるもの、女らしくあってはいけない」、「男たるもの、人前で涙を見せてはいけない」…。「有害な男らしさ」は、英語で言う「トキシック・マスキュリニティ」の訳語だ。「トキシック(toxic)」とは毒。そのため、「有毒な男らしさ」と訳される場合もある。つまりは、男性自身をも苦しめることを意味している。それが、女性より男性のうつ病リスクや自殺率が高い理由のひとつとも言われているのだ。

フィルが“男らしさ”の権化となったのには、彼の持つある秘密が関わっている。だが、映画がその全てを丁寧にセリフで説明してくれはしない。本作の監督、ジェーン・カンピオンの代表作『ピアノ・レッスン』では、全く言葉を発しようとしない(喋れないわけではない)女性が主人公だった。その代わり、彼女の弾くピアノの旋律が心の声を雄弁に伝えていた。本作のフィルは嫌味ばかりとは言えよく喋るが、どこまでが本心なのかは分からない。実際、彼のいじめ方は陰湿だ。“男らしく”ないだろう?

彼の本質に迫るには、言葉よりも行動に注視しなければならない。これは非常に映画的な要素だ。小説では、当たり前だが何かを描写するためには必ず言葉を用いなければならない。映画の持つ“言葉”は、本来言語でなく映像だ。セリフによる説明がなされる度に、映画は映画としての存在意義を失っていく。映像で語ろうとすると観客がヒントを見逃してしまうリスクも増えるが、情報の芳醇さは段違いだ。言語は、事象や事物を説明するために後から作られたツールに過ぎない。ともすれば何も起こらない映画にも見えかねないが、ジェーン・カンピオンは観客を、そして映画の力を強く信じているのだろう。それが実を結び、彼女は今年のベネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した。

タイトルにある「パワー・オブ・ザ・ドッグ(犬の力)」とは、旧約聖書、詩篇第22篇20節からの引用で、「邪悪な力」を意味している(神(God)のスペルをひっくり返すと犬(Dog)になるのが面白い)。見逃しがちだが、ここでもジェーン・カンピオンの演出力が光る。劇中にも実際に犬が登場するのだが、物語の終盤では、犬が従う人物がフィルから他の人物に変わっているのだ。…「有害/有毒な男らしさ」はある種の弱さから生まれると言われている。本当の意味で「邪悪な力」とは何なのか。それを知るには、瞬きをしないことだ。

【ストーリー】
威圧的だがカリスマ性に満ちた牧場主。夫の新妻とその息子である青年に対して冷酷な敵意をむき出しにしてゆくが、やがて長年隠されてきた秘密が露呈し…。

【キャスト】
ベネディクト・カンバーバッチ、キルステン・ダンスト、ジェシー・プレモンス

【スタッフ】
監督:ジェーン・カンピオン

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