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『樹海村』どこにもないけど、どこかにあるかもしれない村。この恐怖と悲しみは日本人にこそ突き刺さる!

この映画は、つまり―
  • 「都市伝説」好きにはたまらない…というか嫌いな人っている?
  • 「樹海」や「村」など、仄暗さをイメージする要素目白押し!
  • 呪いの不条理さと社会の不条理さ

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『樹海村』

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文:屋我平一朗(日々メタルで精神統一を図る映画ブロガー)

 

「都市伝説」ほど興味をそそられる言葉もそうないだろう。本当に起きたことかどうか分からないが…いやきっと起きてはいないのだが、でも起こり得るような…いややはりありえないような…。そういった、どこかに存在していてほしい「理想の楽園」を意味しながらも同時に「どこにもない場所」が語源の「ユートピア」のような、甘美な響きである。本作は、まさにその不確実さを体現するインターネット発祥の都市伝説、「コトリバコ」をベースにしている。まあ、タイトルにある「樹海」とはもちろん、夢も希望もない、しかもしかと富士山の麓に鎮座するあの青木ヶ原樹海のことだが。

コトリバコは呪物だ。「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、大抵の呪いでは禍々しい負の力を得るために大きな代償を払わなければならない。興味があれば元の話を読んでみることを勧めるが、その中では「コトリ」は「小鳥」ではなく、「子取り」を意味すると書いてある。嫌な予感しかしないが、とにかく呪った相手の一族を根絶やしにする力を秘めた、この世にあってはならない代物だ。現代で呪いと言ってもピンとこないだろうが、これが作られたのは100年以上も前だという。途端に、少し信憑性が増したように感じないだろうか?

「怖い町」と「怖い村」では、その「怖い」に全く異なる印象を抱く方が多いように思う。「怖い町」だと、犯罪が多そうだ。対して「怖い村」だと、「村」の持つ古いイメージから、昔ながらの因習や社会から隔絶されたその村独自の倫理観で生きている近寄りがたい人々を想像しはしないだろうか? 箱の起源は件の樹海(このあたりは映画版の創作)。樹海はかつていわゆる“姥捨て山”で、社会から除け者にされ樹海に追いやられた者らが寄り集まって村を、そしてその恨みからコトリバコも作ったのだ。自分たちの“指”を生贄にして。

「指切りげんまん」という童謡がある。よく考えれば物騒な響きだが、その昔、遊女が客への愛情を示すため、指を切断して贈ったことに由来するようだ(ちなみに「げんまん」は「拳万」、1万回殴るという意味)。本作の“指切り”は樹海の村人から社会への、復讐の誓いなのだ。彼らは生きるために村を作った。そして外部の人間を殺すために箱を作った。しかし「人を呪わば穴二つ」。村人は成仏もできず樹海と一体化し、“生きるために殺し”ていたはずが、ただ“殺すために生きる”存在に成り果ててしまった。

本作では、災いが降りかかるのは村人を差別した人間たちとは全く関係のない、母を亡くした鳴(めい)と響(ひびき)姉妹を含む罪のない若者たちだ(樹海を実況レポートするバチ当たりYouTuberはいる)。実に不条理だが、そもそも呪いとはそういうもの。双方を不幸にする“呪われた”手段なのだ。「自分の方が寝ていない」なんて不幸自慢をするのが日本人は好きだが、幸せになることでしか負の連鎖は止められない。そういう意味では、苦しみを分かち合って結束しようとした樹海の村は、彼らにとって確かに存在するユートピアになりえたのかもしれない。姉妹がたどる結末は悲しくも、人間に対して一筋の希望を感じさせてくれる。

【ストーリー】
人々を戦慄させる禍々しい古くから伝わる強力な呪いを、歪な木々や地を這う根が生える、不気味で壮大な樹海の奥深くに封印した。――13年後。姉妹の響と鳴の前に、あれが出現。そして、樹海で行方不明者が続出する。自ら向かったのか? それとも魔の力に吸い寄せられているのか? 恐怖が、いま再び解き放たれる。

【キャスト】
山田杏奈、山口まゆ、神尾楓珠、安達祐実、國村隼

【スタッフ】
監督:清水崇

 

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