【終戦記念日特集2026】「アメリカ人の中の日本」〜ハワイの空港に名を残す「右腕のない男」と日系人部隊「第442連隊戦闘団」の真実~
これまで本特集では、さまざまな視点から先の大戦を描いた映画や歴史の側面に光を当ててきました。
今回取り上げるテーマは「アメリカ人の中の日本」です。かつて敵国として激しく戦ったアメリカという巨大な国家の真ん中に、自らの血とルーツを刻み込んだ日系アメリカ人たちの知られざるドラマに迫ります。
■右手のない男
終戦記念日の8月15日。
1945年から既に80年以上経ち、この日のリアルな想い出をそのまま記憶している人が後何人いるんでしょうか?
多くの人が考える太平洋戦争への想いは、学校で学んだいわゆる歴史の授業であって、「歴史は勝者のもの」というように、本当に何が起こったかは、これはこれで語り継がなければならない。興味深いことにいわゆる歴史認識というものも、戦後すぐと昭和の時代、そして平成から令和へかけて少しづつ変化していき、我々が「事実・ファクト」だと思っていたものが、上書きされる例もあれば、または事実無根だったという例も少なくない。多くの場合はジャーナリズムや政治的な引力に引っ張られてこのようなことが起こる。歴史は動いていることに注目すべきです。
そして、戦争は「国」や「民族」、「人間」というものの本質を考えさせられる。
普段は売上や利益、もしくは効率や拡散やDX、視聴率やCPMに気をとられ、あまりそういうことを考えない皆さんも、8月のこの時期、80年前の真実に想いを馳せてみるのもいいかと思います。
ダニエル・K・イノウエという人がいますね。
夏休みにハワイに行った人なら、オアフ島の空港「ダニエル・K・イノウエ国際空港」で覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか?明らかに現地の人が言いづらそうな日系人の名前ですよね。
「なんか、バナナ農園で成功して多額の寄付をした金持ちかな」
「ハワイの観光産業を発展させた人かな」
ハワイは日本人観光客も多い世界的観光地ですし、そういう部分への貢献を予想したりする人も多いでしょう。
しかし、この井上さんはそういう人ではありません。ダニエル・イノウエの写真を見ると分かりますが、彼には右腕がありません。
そう、この物語は80年前にさかのぼります。
■日本人移民の強制収容
1941年、日本と戦争状態になった米国政府は、日本人移民をどうしようかと考えます。へたすれば国内で騒乱を起こしたり、スパイ活動をやったりする可能性もある。米政府は危険な日本人移民を強制収容所に入れることにします。言っておきますが、彼らはアメリカ国籍を持っているアメリカ人ですよ。けれど多少状況の違いはありますが、16分の1以上日本人の血が入ってるアメリカ人は、財産を失うかすべて凍結させられ、立ち退きを命じられ、着のみ着のままで米国内10か所ある収容所で送られた。男も女も子供もです。あまり知られていないですが、これは悲惨な話です。
しばらくして米国政府は日本人移民の忠誠心を試すためにアンケートを取ります。
質問1:「もし乞われれば国に忠誠を誓って、アメリカ軍の兵士として戦場に出る覚悟はあるか?」
質問2:「天皇ヒロヒトへの忠誠心は捨て去れるか?」
これには様々な意見がありました。だいたい日系一世だと両方ともNOという人が多かった。ですが、日系二世の中には両方の質問にイエスと答え、自ら戦場へ行くことを望む者もいたのでした。
こうして作られたのが日系人部隊として有名な「米陸軍第442歩兵連隊戦闘団」
(※便宜上442連隊と言いますね。ご了承ください)です。
■イノウエの活躍
442連隊は、ヨーロッパの最前線へ送られ、ナチスドイツを相手に戦い、その比類なき勇猛な戦いぶりは、語り草になります。
この部隊に配属されたのがハワイの医学生のダニエル・K・イノウエでした。ハワイは日系移民が非常に多かったので、全員を施設に入れることはしませんでしたが、その分歴史も国も古く、米国に対する想い強かったのか、多くの志願兵がいたと言われています。(真珠湾攻撃の舞台ですからね)。
イノウエは医者を目指していましたが、強い想いを胸に戦地に赴きます。
442連隊でのイタリアでの戦いは今でも伝説です。イノウエは小隊を率いてドイツ軍の堅固な防衛線を攻撃した際、3か所からの機関銃から射撃を受けました。彼は突撃し腹部に銃弾を受けましたが、手榴弾と短機関銃で2か所を撃破し、倒れ込んでもなお攻撃を続けた。イノウエが最後の機関銃座ににじり寄り、手榴弾を投げようと右腕を振りかぶったところ、ドイツ軍兵士が発射したグレネード(小さい炸裂弾ですね)がその右腕に命中、炸裂はしなかったものの、右腕は切断寸前となった。そしてぶら下がった右手には手榴弾が遺されたまま。安全ピンは抜かれていたけど、右手の指が安全レバーを握りしめた状態だったため、奇跡的に未発火。戦友たちは、イノウエを助けようとしたが、彼はそれを押しとどめ、右手が握っている手榴弾を左手でもぎ取り、機関銃座の銃眼に投げ込んで炸裂させた。その後、彼は千切れかけた右腕をぶら下げたまま、左腕一本で短機関銃を操ってなおも戦闘を続けたが、左足にも負傷して遂に昏倒しました。
その後、イノウエは野戦病院で右の下腕を切断され、ミシガン州のパーシー・ジョーンズ陸軍病院に入院。後年、彼は多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され、日系人社会だけでなくアメリカ陸軍からも英雄として称えられています。(なお同病院は2003年に、イノウエら3名の負傷兵の名を冠して「Hart-Dole-Inouye Federal Center」と改名された。)
しかし、イノウエは右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道を諦めるしかなかった。戦争は人の人生を変えます。でもここからが凄いんです。イノウエはその後、法律・政治を志し、弁護士となり、1959年、ハワイが50番目の州になると、その州から連邦下院議員に選ばれます。彼の揺るぎない愛国心は既に立証されています。イノウエは日系人や軍どころか既に全米の英雄だった。政治家として彼は日米関係の強化やハワイの隆盛に寄与するのはもちろん、ウォーターゲート事件やイラン・コントラ事件の追求も行い、その後上院議員、そして上院議長代行にまで上り詰めます。これは大統領継承順位3位の高位です。2012年彼は亡くなりますが、地元のハワイ空港の名称は「ダニエル・K・イノウエ」空港となり、また米海軍にも「ダニエル・K・イノウエ」と命名された軍艦があります。
考えてみてください、敵性民族として隔離されようかという男の名前が最終的には誇りある軍艦の名前になってしまうのです。実力を証明しさえすれば生まれは関係ない、いくらでも尊敬を惜しまないアメリカという国の奥深さと共に、多くの屈辱や、謂れのない差別と闘って、更に右腕を失っても、ここまでやり切ったダニエル・K・イノウエ、日本名・井上健の覚悟と圧倒的な意志の力に恐れ入るばかりです。
■442連隊の男達
だが、しかし、皆さんに覚えておいてほしいのは、あの80年前、英雄はダニエル・イノウエだけではなかったのです。
日系人部隊である442連隊は欧州戦線での戦いを終えた後、その活動期間と規模に比してアメリカ合衆国軍事史上でもっとも多くの勲章を受けた部隊となり、歴史に名前を残すことになりました。総計で18,000近くの勲章や賞を受けています。これは驚くべき数字です。
イタリア半島に上陸し、ローマでの戦い、フランス・ブリューエルへ進攻し、アルザス地方の解放を行なった442連隊。彼らは危険も顧みず、最前線に臨みました。友軍をまもるために、投げ込まれた手榴弾の上に自らの体を投げ出して戦死したサダオ・ムネモリのような兵士もいた。さらにあの悪名高いユダヤ人強制収容所ダッハウの解放をこの日系人部隊はやっている(この事は、1992年まで公にされることはなかった)。
そして伝説となったテキサス大隊の救出があります。
1944年、ドイツ軍に包囲され、殲滅されそうなテキサス大隊211名を救うために56名が戦死、800名が負傷した442連隊。救出後テキサス大隊と抱き合って歓喜したが「なんだジャップか」と言われて「俺たちは442部隊だ!」と司令官のタムラ少尉が一喝したという話が残っています。
■アメリカ人に日本を見る
彼ら442連隊の日系人たちの胸にあったものは何だったでしょう?
井上健をはじめとした犠牲を厭わない勇猛果敢さを持つ442連隊の話を聞いて、わたしが思った事は
「コレは日本の侍じゃないか」
って事なんですね。当時の米政府による日本人の強制収容は大きな問題かあったと思いますが、日本人という結束力を持った民族を敵に回した米国にとってはわからなくもない選択です。
驚くのは日系二世たちがそれに対してどのように米国社会の「信頼」を勝ち取っていったかというこの道程ですよね。彼らは文句を言ったり、サボタージュで理不尽な政府の政策に反抗しようとせず、黙って戦地に身を投じた。
442連隊の死傷率は非常に高かったと思います。掛け値なしに命を懸けた。
彼らとって大事だったのは自分の生命・名声ではなく、アメリカにおける日本人移民の未来やプライド。そしてもしかしたら「日本人というもの」の名誉だったのではないかと思うのです。
「国同士が争うのは不幸な事だが、俺たち日系移民は、義理のあるアメリカに対してスパイするなど内側からコソコソ卑怯な真似はしないし、必要があれば誰よりも勇敢に戦ってその意志を見せる」
というような、サムライの哲学、とてつもない「日本」を感じました。
いま、日本人は世界から、お人好しとか、何考えてるかわからん、などと言われつつ、スポーツ大会でゴミを拾ったり、誰も見てなくても黙々と良いことをやり続ける姿も注目されつつありますね。
世界の人々が日本人に対して、一目置く気持ちの根底には、こういう過去のサムライたちの姿の積み重ねがあるのだと思います。国レベルでも「彼らは裏切らない」、「本気を出したら凄い」という、一定の信頼と畏敬も勝ち取っているのは80年前の命を懸けた存在証明があるのです。特に米軍が日本に寄せる信頼は「敵として戦った」「共に戦った」両面あるだけに特別なものがあるということは知っておいた方が良いでしょう。
1946年7月にトルーマン大統領が大統領部隊感状を授与するために閲兵し、「諸君は敵だけではなく、偏見とも戦い、そして勝ったのだ。(You fought not only the enemy, you fought prejudice-and you won.)」と讃えた。
1976年2月19日にジェラルド・R・フォード大統領は、「我々は、当時から理解するべきだったことを、今日知った。日系人の強制収容は、誤りだっただけではなく、彼らは当時も今も、忠実なアメリカ人である」と述べた。
アメリカ人の話ですが、日本人として、これほど誇らしく、心が打ち震えることはないですね。
■日系人部隊の映画
『ベストキッド』(1984年、米)
配信先:Amazonプライム、U-NEXT、Netflix
主人公の師匠であるミヤギ (Keisuke Miyagi) は、「第442連隊に在籍し、名誉勲章を受勲した」という設定であり、ヨーロッパ戦線に出征していたことが明かされる場面がある。
『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』(2010年、日米)
配信先:U-NEXT
監督・脚本:すずきじゅんいち。元兵士の証言をまとめた日米合作のドキュメンタリー映画。2010年の「第23回東京国際映画祭 日本映画・ある視点」に正式招待作品として上映後、日本公開が決定。
『ザ・ブレイブ・ウォー 第442部隊』(2010年、米)
配信先:Amazonプライム、U-NEXT
これが“米軍特攻隊”の悲劇の真実!1941年、日本が真珠湾を攻撃した翌年、ハワイに住む日系人の約1400人が第100歩兵大隊として活動を開始。その後、ルーズベルト大統領が約12万人の日系人を10ヵ所の強制収容所へ送る大統領令に署名し、1943年にはハワイと強制収容所から1万人を超える日系人がアメリカ陸軍の第442連隊戦闘団に志願した。そんなある日、軍曹ジミーにもとに、友軍のテキサス大隊がドイツ軍に包囲されたと情報が入る。すぐさま救出命令が下るものの、ドイツ軍の戦力は倍以上で、救出は絶望的な状況だった。
出演者:レイン・ニシカワ,ジェイソン・スコット・リー,マーク・ダカスコス
『ヒマラヤ杉に降る雪』(1999年、米)
配信先:Amazonプライム、U-NEXT、AppleTV
こちらは世界大戦後の日本人差別を浮き彫りにする作品。マンザナー強制収容所でのイマダ家の様子が描かれている。原作は、ペン/フォークナー賞(第15回 1995年)を受賞したデイヴィッド・グターソンのベストセラー小説。1954年12月、日系アメリカ人漁師カズオ(リック・ユーン)は、同僚カール(エリック・サル)を殺害した第一級殺人容疑で罪に問われていた。地元新聞記者のイシュマエル(イーサン・ホーク)は、カズオの容疑を晴らす可能性の高い証拠を掴んだが、カズオの妻であり彼自身の幼馴染のハツエ(工藤夕貴)との間の過去の恋愛関係に対する感傷の想いが断ち切れず悩む。日系アメリカ人への厳しい差別偏見と大戦という背景と恋愛を描くヒューマンドラマ。


















