『落下の王国 4Kデジタルリマスター』公開記念 クセが強すぎる映像美!ターセム・シン監督の世界
インド出身の映画監督ターセム・シンは、いつも「ストーリー」より先に「一枚のイメージ」で記憶に残る作家です。R.E.M.「Losing My Religion」のMVで一躍注目され、その後も広告やミュージックビデオの世界で腕を磨きながら、極端に作り込まれたビジュアルを映画へと持ち込んできました。その代表作『落下の王国』が、世界各地で撮影されたロケーションと石岡瑛子の衣装をよみがえらせた4Kデジタルリマスター版として、11月21日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開されます。 構想に20年以上、撮影に数年を費やし、20カ国以上でロケを行ったとも言われる本作は、まさにターセム美学の結晶です。
今回はこの公開を記念して、『落下の王国』と、その前後を挟む3作――『ザ・セル』『インモータルズ -神々の戦い-』『エメラルドシティ』――を通して、「ターセム・シンの映像って何がそんなにすごいのか?」をあらためて掘り下げてみたいと思います。どれもただの“変わったビジュアルの映画”ではなく、画そのものが物語を語り始める作品ばかりです。
『ザ・セル』
連続殺人犯の“心の美術館”に潜る
ターセムの長編デビュー作『ザ・セル』は、いま見直すとかなり奇妙な位置にあるハリウッド映画です。設定だけ聞けば「昏睡状態の連続殺人犯の脳内に潜り、最後の被害者の居場所を探るSFサスペンス」。ところが実際にスクリーンに現れるのは、殺人犯の精神世界を巨大な美術館のように実体化した、純然たる「映像アート」の連打です。
馬の身体がガラス板でスライスされて展示されていたり、ビロードのような赤いマントをまとったヴィンセント・ドノフリオが、宗教画の聖人のようなポーズで玉座に座っていたり。これらのイメージは、ダミアン・ハーストやH.R.ギーガーら現代アートの引用をベースに、ターセムと衣装デザイナー石岡瑛子が共同で組み上げたものです。
おもしろいのは、この過激なビジュアルが決して“悪趣味なショック”だけで終わらないところです。殺人犯の内部世界は、トラウマや欲望がそのままオブジェになった空間として描かれます。だから観客は「彼が何をしたか」以上に、「なぜこんな世界を内側に抱え込むことになったのか」を、色と形から読み取ることになります。心理描写を説明台詞ではなく、造形と構図でやり切ってしまう。ここにターセムの本領があります。
結果として『ザ・セル』は、連続殺人映画のフォーマットを借りた、かなりラディカルな“インスタレーション映画”になっています。物語の整合性や犯人捜しのロジックより、画面の一枚一枚が持つ異様な強度に身を委ねる作品です。
『落下の王国』
世界中の風景をつなぎ合わせた、嘘と祈りの大長編
ターセム映画の中でも特にカルト的な支持を集めてきた一本です。1920年代のロサンゼルスの病院で、落下事故で動けなくなったスタントマンと、腕を骨折した少女が出会う。男は彼女を自分の思惑どおり動かすために、壮大な冒険譚を語り聞かせる――という筋書きだけ取り出せば、とてもシンプルです。
しかし、その物語世界に足を踏み入れた瞬間、現実感は一気に吹き飛びます。ナミブ砂漠の枯れた大地、インドの青い街ジョードプル、タージ・マハルやハギア・ソフィア、ヨーロッパの古い庭園……ターセムはCGを極力排し、二十数カ国を旅しながら「こんな場所が本当に地球にあるのか」と疑いたくなるロケーションだけをつなぎ合わせて、少女の頭の中に広がる幻想世界を作り上げました。
ここで重要なのが、「物語を話しているのは大人の男で、イメージを組み立てているのは子ども」という構造です。男が語る“英雄譚”は、失恋と挫折でボロボロになった自分の身の上話の変奏に過ぎないのですが、それを聞く少女は、まだ世界をあまり知らない。結果として、インド人の盗賊は牛乳配達員の格好をしていたり、悪役の将軍は少女の知る映画スターにそっくりだったりと、語り手と聞き手の認識のズレがそのまま画面の奇妙さになって現れます。
衣装を担当した石岡瑛子は、『ザ・セル』『インモータルズ』でも組んできたパートナーですが、本作ではとくに「人間の輪郭を一度キャンバスとしてまっさらにし、そこから絵画を描き足していく」ようなアプローチが際立ちます。白いターバンと真っ赤なマントが砂漠に刺さるように立っているだけで、一枚のポスターになるような画面。その異様な造形が、少女の想像力の暴走と、現実の残酷さのコントラストを際立たせます。
4Kデジタルリマスター版では、各地の建築や衣装の質感、砂粒や布の重さまでが格段に見やすくなりました。世界中の風景と人間の心のひだを、同じフレームの中に並べようとした監督の執念を、いちばん素直に味わえる一本です。
『インモータルズ -神々の戦い-』
ギリシャ神話を“動く石像”に変える
『インモータルズ -神々の戦い-』は、「ギリシャ神話×バイオレンス・アクション」というパッケージから、公開当時は『300〈スリーハンドレッド〉』系の豪快な一括りで語られがちでした。しかし、あらためて見直すと、これもやはり「ターセムにしか撮れない神話映画」です。
物語の軸は、暴君ハイペリオンに立ち向かう戦士テセウスと、オリンポスの神々、地底に封印されたタイタン族の戦い。筋は王道ですが、ターセムはここで“画のルール”を大胆に変えています。神々はほとんど人間離れした黄金の鎧と白い衣で統一され、肉体というより「神像」が動き出したような存在として描かれる。一方、人間側の世界は土と石と血の色が支配する、鈍いブラウンとグレーの画面です。
クライマックスで神々がタイタン族と戦うシーンでは、このコンセプトが極端な形で結実します。超スローモーションで描かれる斬撃は、血しぶきよりも「斜めに走る金色の線」としてフレームに刻まれ、まるでギリシャ神殿のレリーフが、そのまま動き出したように見える。アクション映画であると同時に、「古代美術の構図を実写で再現したらどうなるか」という実験でもあるのです。
ここでも衣装は石岡瑛子。彼女の手による過剰な甲冑と布地のレイヤーが、ターセムのカメラワークと合わさることで、「キャラクターの感情よりも、まずシルエットが先に目に飛び込んでくる」映像になっています。ドラマの細部より、とにかく一枚一枚の画で神話性を叩き込んでくる、ある意味では非常に偏った快作です。
『エメラルドシティ』
TVシリーズで試した“ダーク・オズ”の世界構築
最後に、少し変化球として触れておきたいのがNBCのドラマシリーズ「エメラルドシティ」。L・フランク・ボームの「オズの魔法使い」シリーズをベースにした全10話のファンタジーで、ここではターセムが全話の監督を務めています。
この作品でのポイントは、「オズの国」をフルCGではなく、ヨーロッパ各地のロケーションで作り上げたこと。クロアチアやスペインなどの城塞都市や宮殿をベースに、色彩を極端にコントロールして、宝石のように飽和した“緑”と“金”を基調とした異世界を造形しています。
ここでもターセムは、ストーリーそのものより「どんな世界に迷い込んでしまったか」を画で語ろうとします。エメラルド・シティは、ガラスと金属と石造建築が混ざり合った巨大な要塞都市として描かれ、空を飛ぶ“モンキー”たちは、クラシックなかわいらしさの代わりに、スチームパンク的な不気味さをまとっています。
物語やキャラクター造形には賛否もありましたが、「2時間の映画ではなく、連続ドラマのフォーマットでターセムのビジュアルがどこまで持続できるのか」という実験として見ると、非常に興味深い一本です。1話ごとに“場面写真にしたくなるカット”が必ずある、贅沢なTVシリーズと言っていいでしょう。
どの作品から観るべきか──
“物語”より“画”で選ぶターセム入門
こうして並べてみると、ターセム・シンの作品は、ジャンルも舞台もバラバラです。連続殺人犯の精神世界を描くサイコホラーもあれば、20カ国以上を旅して撮ったファンタジーもあり、ギリシャ神話のアクション大作もあれば、TVシリーズのダークファンタジーもある。共通しているのは、「脚本を映像化する」のではなく、「映像そのものを物語の主役にしてしまう」姿勢です。
入門としては、まず劇場で4Kリマスター版『落下の王国』を観て、「現実世界の風景だけで、ここまでファンタジーが作れるのか」という驚きを全身で浴びるのがおすすめです。そのうえで、『ザ・セル』で心の奥底をビジュアルとして覗き込み、『インモータルズ』で“動く神殿彫刻”のようなアクションを体験し、最後に『エメラルドシティ』で、ターセムの世界観が連続ドラマのフォーマットにどう拡張されるのかを確かめてみる。
クセは強いけれど、一度ハマると他の映画では物足りなくなるターセム・シンの映像世界。『落下の王国 4Kデジタルリマスター』をきっかけに、その“過剰な一枚絵”たちを、今夜どれか一本から覗いてみてはいかがでしょうか。
『落下の王国 4Kデジタルリマスター』
2025年11月21日(金)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、グランドシネマサンシャイン 池袋 ほか 全国公開
【ストーリー】
時は1915年。映画の撮影中、橋から落ちて大怪我を負い、病室のベッドに横たわるスタントマンのロイは、自暴自棄になっていた。そこに現れたのは、木から落ちて腕を骨折し、入院中の5才の少女・アレクサンドリア。ロイは動けない自分に代わって、自殺するための薬を薬剤室から盗んで来させようと、思いつきの冒険物語を聞かせ始める。それは、愛する者や誇りを失い、深い闇に落ちていた6人の勇者たちが、力を合わせて悪に立ち向かう【愛と復讐の叙事詩】―。
監督:ターセム 『ザ・セル』
出演:リー・ペイス 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『キャプテン・マーベル』、カティンカ・アンタルー
2006年/アメリカ/ビスタ/5.1ch/120分/原題:THE FALL
配給:ショウゲート
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公式HP:rakkanooukoku4k.jp












