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8月6日はM・ナイト・シャマランの誕生日! 「シャマランだから許される!?」不可解すぎる映画たちを全作まとめて振り返る!

『シックス・センス』の衝撃から25年。

M・ナイト・シャマランは、いまもなお“シャマランとしか言いようのない映画”を撮り続けている。

どこか不穏で、終始ざわざわしていて、そして最後に観客を突き放す──。

名作もあれば迷作もあるけれど、不思議と見てしまう。気づけば最後まで引き込まれてしまう。そんな“クセ”が彼の映画にはある。

8月6日は、シャマランの誕生日。

この機会に、彼がこれまで世に送り出してきた長編映画を一気に振り返ってみよう。

「わかるようで、わからない」。

でも、それがクセになる──。

そんなシャマラン映画の全部を、今回はまとめておさらい。

 

『シックス・センス』(1999)
見えるはずのないものが、見えてしまう──

「見えない何か」に脅かされる映画は星の数ほどあるが、それが“心の傷”とこんなにも直結している作品は他にない。『シックス・センス』は、当時無名だったM・ナイト・シャマランを一気に世界的な存在へ押し上げたホラーサスペンス。

舞台はフィラデルフィア。少年と精神科医の関係を軸に、日常のなかに静かに侵入してくる“異常”を描いていく。いわゆるホラー的な仕掛けは最小限。それなのに観ていて不気味で、胸が詰まって、最後には切なくなる。

本作の魅力は、恐怖演出や衝撃展開よりも、実は“人と人の距離感”の描き方にある。言葉を交わせないまま気持ちがすれ違っていく切なさ、何かを守ろうとする無力感。そうした感情の機微が全編にわたって丁寧に積み重ねられていて、だからこそあの“静かなクライマックス”が響く。

シャマラン作品を語るとき、「どんでん返し」や「トリック」に注目が集まりがちだが、この映画に関して言えば、むしろ最初から“感情の伏線”が張られていると言った方が正しい。観終わってから思い返すと、すべてのシーンに意味があったことに気づく。その繊細な作劇が、本作を何度でも観返したくなる一作にしている。

興行的にも大成功を収め、アカデミー賞6部門ノミネート。以降のシャマランが“語り手”としてどう生きるかを決定づけた、記念碑的な一本だ。

【作品情報】
原題:The Sixth Sense
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ブルース・ウィリス、ハーレイ・ジョエル・オスメント、トニ・コレット
配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『アンブレイカブル』(2000)
現実に、ヒーローは存在するのか?

『シックス・センス』で脚光を浴びたシャマランが、次に挑んだのは“アメコミの世界をリアルに描く”という実験だった。アクションも特殊能力も派手な演出もなし。なのに本作には、れっきとしたヒーローとヴィランが登場する。

ブルース・ウィリス演じるのは、鉄道事故で唯一生き残った男。しかも無傷。だがその異常な出来事は、家族との関係を見直すきっかけにもなり、「もしかして自分は普通じゃないのでは?」という不安と向き合うことになる。

そんな彼の前に現れるのが、骨が異常にもろく、日常生活でも骨折してしまう難病を抱えた男──イライジャ(演:サミュエル・L・ジャクソン)。彼は古今東西のコミックを読み漁り、ヒーロー神話に人生を重ねてきた。そしてウィリスの存在に“ある意味”を見出し、接近する。

このふたりの関係は、まさにヒーローとヴィランの鏡写し。壊れない体と壊れやすい体。何者でもなかった男が、自分の“運命”に向き合っていく過程を、シャマランは徹底的に静かに描く。映画にはアメコミ的な構成要素も散りばめられている。物語は三幕構成の典型的ヒーロー譚になっており、キャラクターごとの象徴色(イライジャの紫、デヴィッドの緑など)も明確に設計されている。だがそれを現実の空気感に落とし込む演出が、唯一無二の味になっている。

当初は地味すぎるという声も多く、『シックス・センス』ほどのヒットには至らなかったが、今では“リアル系ヒーロー映画の先駆け”として再評価されている。のちに『スプリット』『ミスター・ガラス』と続くユニバース三部作の第一作としても必見だ。

【作品情報】
原題:Unbreakable
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ロビン・ライト・ペン
配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『サイン』(2002)
神の沈黙と、とうもろこし畑と──

UFOを題材にしながらも、シャマランが本当に描くのは「信じることができるか?」という問いだ。主人公は、妻を事故で亡くし信仰を捨てた元牧師のグラハム(メル・ギブソン)。彼が暮らす農場に、ある日“サイン(円形模様)”が現れる。やがて世界中で同様の現象が報告され、テレビには“何か”が映り始める──。

本作は“宇宙人襲来もの”の体裁をとりながら、その内実は極めて個人的な物語だ。家族の再生、信仰の回復、喪失と赦し。侵略SFにありがちなパニック描写は一切なく、視点はあくまで閉じた家庭の内部にある。見せるより“見せない”ことで恐怖を増幅させる演出は、シャマランの真骨頂といえる。

加えて、「偶然と運命」をめぐる仕掛けも巧妙だ。登場人物たちの些細な癖や過去の出来事が、後に意味を持ち始める展開は、『オールド』にも通じる構造。すべてがつながる瞬間に、観客は“信じること”の意味を突きつけられる。

メル・ギブソンとホアキン・フェニックスのコンビも見どころ。派手な演技を排し、沈黙や視線、間で感情を語る演出が、物語の緊張感と重厚さを支えている。

公開当時は「ジャンルを裏切った」と批判もあったが、今ではシャマランらしさが凝縮された重要作として再評価が進んでいる。恐怖の正体より、“それにどう向き合うか”を問う。静かにして濃密なスリラーだ。

【作品情報】
原題:Signs
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ロリー・カルキン、アビゲイル・ブレスリン
配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『ヴィレッジ』(2004)
森の向こうに何があるのか──それは“禁忌”だった

舞台は19世紀の田舎町。自然と共に静かに暮らす人々には、絶対に破ってはならない掟がある。「森の奥には“何か”がいる」。だから決して境界を越えてはならない──。その恐怖と支配の構造を描いた寓話、それが『ヴィレッジ』だ。

一見するとホラーのような装いだが、本質は“社会の仕組み”を問い直す心理劇。人々が信じる掟は、果たして本当なのか? なぜ彼らはそこまで恐れるのか? その疑問が、物語全体に不穏な緊張を漂わせる。注目すべきは、画面の静けさだ。風や鳥の声すら意味を持ち、セリフは最小限。沈黙が続く場面にさえ、緊迫感が満ちている。登場人物たちは自らルールを信じ、縛られることで秩序を保っている。その姿に、現実社会の縮図すら見えてくる。

主演はブライス・ダラス・ハワード。視覚障害を抱えながらも信念を持つヒロイン像が、観客の視点を強く引き寄せる。ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディら実力派も、作品全体に重みと静かな狂気を与えている。

公開当時は、予告編とのギャップに困惑した観客も多く、賛否は大きく分かれた。だが「これはホラーではなく倫理劇だ」という評価も根強く、現在では再評価の声が高まりつつある。

“恐怖”という概念を、他者を支配するための装置として描く──その冷徹な視点と語りの静けさにこそ、シャマランの本質が表れている。声を荒げずに絶望を語る、その異様な優しさがこの作品の魅力だ。

【作品情報】
原題:The Village
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ブライス・ダラス・ハワード、ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、シガニー・ウィーバー
配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006)
物語の力を信じられるか──プールの底から現れた“神話”

シャマランが挑んだのは、自らが娘に語った“おとぎ話”を本気で映画化することだった。舞台は郊外のアパート。管理人のクリーブランド(ポール・ジアマッティ)は、ある夜、プールから現れた謎の女性ストーリー(ブライス・ダラス・ハワード)と出会う。彼女は“水の世界”から来た存在で、この地に使命を果たすために来たという。

いきなりファンタジー全開の設定だが、登場人物たちは疑いながらも彼女を信じ、協力しようとする。そして明らかになるのは、住人たちそれぞれが“物語上の役割”を背負っているという構造。誰が導き手で、誰が守り手で、誰が犠牲になるのか──神話のピースが少しずつはまっていく。

本作最大の話題は、シャマラン自身が“世界を救う作家”役で出演していること。さらに劇中では映画評論家が無能な人物として登場し、早々に退場。批評家へのあてつけともとれる演出は「自己陶酔が過ぎる」と大バッシングを受けた。

それでもこの映画の問いは真摯だ。「物語には人を救う力があるのか?」というテーマを、信仰にも近い形で語りかけてくる。異界への扉が“プール”という人工的な場所にあるという発想も、シャマランらしい寓話性に満ちている。

映像も音楽も、どこか現実からズレていて、全体に絵本のような優しさと不可解さが漂う。万人受けしないが、深く刺さる人も確実にいる。これを最後まで信じられるかどうか──それ自体が“試される物語”なのかもしれない。

【作品情報】
原題:Lady in the Water
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、M・ナイト・シャマラン
配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『ハプニング』(2008)
風が吹く。それだけで、人は死ぬ──

シャマランが手がけた中でも、最も奇妙で説明のつかない作品のひとつ。それが『ハプニング』だ。ある日突然、人々が次々と理由もなく自ら命を絶ち始める。原因は不明。ただ風が吹き、木々が揺れると、誰かがふと立ち止まり、命を絶つ──。

主人公は高校教師のエリオット(マーク・ウォールバーグ)。彼は妻(ズーイー・デシャネル)とともに、パニックに陥った街を脱出するが、どこに行っても「それ」は追いかけてくる。だが敵の姿は見えない。武器も正体もなく、ただ“自然”が牙をむいているかのようだ。

シャマランは本作で、徹底的に“説明を拒む演出”に挑んだ。なぜ起きたのか、どうすれば止まるのか、といった論理的答えは一切与えられず、観客はただ“不気味な空気”の中に放り込まれる。ある種の不条理劇として成立しており、これはシャマランならではの構成だ。

とはいえ、この独特なテンションと演技は評価を二分した。マーク・ウォールバーグの困惑顔、ズーイー・デシャネルの無表情、奇妙なセリフ回し──「本気なのかネタなのか」と戸惑う声も多かった。意図的なズレを楽しめるか否かで、作品の印象が大きく変わる。

だが本作が問うているのは、明確な悪や恐怖ではない。「自然に対する人間の鈍感さ」「不可解な事象への耐性」そして「なぜ人は理由を求めるのか」という根源的な問いだ。世界は、説明だけでは割り切れない。

【作品情報】
原題:The Happening
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:マーク・ウォールバーグ、ズーイー・デシャネル、ジョン・レグイザモ
配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『エアベンダー』(2010)
壮大な伝説、圧倒的な酷評──
誰も救われないシャマランの迷走

アメリカの人気アニメ『アバター 伝説の少年アン』を実写化──このニュースに、当時のファンは大いに期待した。四大元素を操る“ベンダー”たちのバトル、壮大な世界観、そして主人公アンの成長譚。すべてが映像映えしそうな題材だった。

だが、蓋を開けてみれば大炎上。批評家・原作ファンの双方から酷評され、「シャマラン史上最低作」とまで言われた。主な要因は、原作への敬意の欠如、配役のホワイトウォッシング、無理なダイジェスト脚本、棒読みの演技、そして肝心の“魂”がまったく宿っていなかったこと。

ストーリーは、氷の中から目覚めた少年アンが、戦争で荒廃した世界を救うため旅をする──という王道冒険もの。だがシャマランは、原作のユーモアと感情を削り、ひたすら説明とスピード展開に終始してしまった。登場人物たちは背景も性格も薄く、まるでキャラ紹介を早送りで観ているよう。

シャマランの本質は“人間ドラマのじっくり描写”にある。それを放棄してVFXに頼った本作は、彼にとっても不幸な仕事だった。本人ものちに「スタジオ主導で自由に作れなかった」と語っている。

唯一の救いは、この失敗が彼を“原点回帰”させたこと。ここからシャマランは低予算映画に戻り、『ヴィジット』『スプリット』で見事復活を果たすことになる。そういう意味では、キャリアの“負のターニングポイント”として重要な一本だ。

【作品情報】
原題:The Last Airbender
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ノア・リンガー、ニコラ・ペルツ、デヴ・パテル
配信情報:Netflix

 

『アフター・アース』(2013)
父と息子の旅、それは“恐怖と向き合う”物語だった

人類が地球を捨ててから千年後──。宇宙船事故で“死の星”と化した地球に不時着した兵士の父子。重傷を負った父サイファは、息子キタイにすべてを託す。通信越しに指示を送りながら、危険に満ちた地を進ませる。だが、彼を襲うのは猛獣よりも“恐怖”という感情そのものだった。

ジェイデン・スミス演じるキタイは、幼く未熟な少年として描かれる。敵は見えず、罠もない。ただ自然のなかで「恐れるな」と命じられる理不尽。それがこの作品の焦点であり、シャマランはいつものように“心の旅”を軸に物語を組み立てる。

だが、本作はシャマラン最大の失敗作とされている。ウィル・スミスの抑制された演技と、ジェイデンの表情の乏しさが感情の乗らない画面を生み、物語は淡々と進行。盛り上がりに欠け、展開も平板。批評家からは「スミス家の自己満足映画」と酷評され、ラジー賞ではワースト作品賞ほか多数ノミネートされた。何より問題だったのは、シャマラン自身の作家性がほとんど消えていたこと。本人ものちに「これは自分の映画ではない」と語っており、スタジオの意向に沿った仕事だったことが伺える。

しかしこの一作が、のちの『ヴィジット』での原点回帰へとつながる。つまり“転落”ではなく、“再起”への助走だったのかもしれない。

【作品情報】
原題:After Earth
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ジェイデン・スミス、ウィル・スミス
配信情報:Netflix

 

『ヴィジット』(2015)
「おばあちゃんの家」がこんなに怖いなんて聞いてない

シャマランの復活を決定づけた一作。『アフター・アース』の大失敗を経て、原点に立ち返った本作は、わずか500万ドルの低予算で制作され、世界中の観客を震え上がらせた。ジャンルは“スリラー”だが、その中身は“じわじわ型のホラー”と“ブラックコメディ”が見事に融合した異色作だ。

物語はシンプル。しばらく会っていなかった祖父母の家に、姉弟が一人で訪ねることになる。最初は優しいふたりだが、夜になると様子がおかしい。奇妙な行動、不自然なルール、そして絶対に入ってはいけない“地下室”──。

物語は姉弟が持ち込んだビデオカメラの視点で進行する疑似ドキュメンタリー形式。POV視点がもたらす臨場感と、祖父母の“ほんの少しズレた”行動が、笑いと恐怖を同時に呼び起こす。この絶妙な温度感は、シャマランにしか出せない。

最大の見どころは、物語の中盤から急激に不穏さが増していく構成。小さな違和感が積み重なり、ある一点で観客を突き落とす。この“落差”こそ、彼が得意とするサスペンス演出の真骨頂だ。意外な伏線回収も鮮やか。

本作の成功により、シャマランは再び脚光を浴びることになる。低予算・自主制作・自由な発想──彼が本来持っていた“語り部としての強さ”を取り戻した記念碑的作品だ。

【作品情報】
原題:The Visit
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:キャスリン・ハーン、ディアナ・デュナガン、ピーター・マクロビー

配信情報:Netflix

 

『スプリット』(2017)
“23人の人格”の奥に潜むもの──
サスペンスから恐怖へ、そしてまさかの続編へ

少女3人が拉致され、目覚めたのは密室の地下室。犯人は、外見はひとりの男だが、中身はまるで別人──。その名はケヴィン。彼の中には23もの人格が共存し、さらに“24番目”の人格「ビースト」の出現が予告されていた。

シャマランが手がけた本作は、精神疾患を扱った“心理スリラー”でありながら、次第に“超常的サスペンス”へとシフトしていく構成が秀逸だ。多重人格という設定を活かし、同一俳優(ジェームズ・マカヴォイ)が次々と別人格に“変身”する演技も圧巻で、観客を物語に引き込む駆動力となっている。

ただし、単なる猟奇犯罪ものに留まらないのがシャマラン流。誘拐された少女ケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)の過去が明かされるにつれ、「傷を負った者同士がどう生きるか」というテーマが浮かび上がってくる。ケヴィンの内面も一様ではなく、人格によって善悪や理性のバランスが異なり、単なる“モンスター”では終わらない人間像が描かれる。

そして観客の度肝を抜いたのは、ラストシーン。なんとこの物語が『アンブレイカブル』と同一世界の出来事であったことが示される。カフェのテレビに映るニュース、そして“あの男”の登場──。誰も予想していなかったユニバース構想の始まりに、世界中がざわついた。

この仕掛けにより、長年「続編はない」とされてきた『アンブレイカブル』の再評価が一気に進み、続く『ミスター・ガラス』で三部作が完結することとなる。シャマランにとっても、低予算スリラーでの完全復活、そして新たな挑戦への足がかりとなった記念碑的作品だ。

【作品情報】
原題:Split
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ジェームズ・マカヴォイ、アニャ・テイラー=ジョイ、ベティ・バックリー

配信情報:Netflix、ディズニープラス(スター)

 

『ミスター・ガラス』(2019)
ヒーローは存在するのか──
シャマラン・ユニバース、20年越しの決着

2000年の『アンブレイカブル』、2017年の『スプリット』──そして、すべてがひとつに繋がる三部作完結編、それが『ミスター・ガラス』だ。ジャンルは一応「スーパーヒーロー映画」だが、マーベルやDCとは真逆のスタンス。派手なバトルもスーツもない。ただひたすら、特殊性と孤独、信じることの重さについて問う、静かなユニバースの終着点である。

前作の事件から数週間後、“ビースト”ことケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)、“不死身の男”デヴィッド(ブルース・ウィリス)、そして車椅子の知能犯イライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)は、同じ精神病棟に収容されている。そこに現れるのが、「あなたたちはただの妄想者だ」と語る精神科医(サラ・ポールソン)。ヒーローもヴィランも存在しない──本作が突きつけるのは、まさにその現実否定だ。

三者三様の信念が激突するなか、物語はどこか寓話的な様相を帯びていく。超人的な能力とは何か? それを信じる人間の「物語を必要とする本能」とは? シャマランはここで、ヒーローという概念そのものにメスを入れている。

演出はあくまで静かで内省的。派手な展開やカタルシスはほとんどなく、むしろ観客の期待を裏切るかのような結末が待っている。だがそこには、「物語は信じられる者によって拡散される」という、シャマランらしい物語論が宿っている。

評価は賛否両論だった。あまりに地味、期待外れという声も多かったが、あえて型を外し、ヒーロー映画を“終わらせた”ことには確かな意義がある。シャマランにとっても、「信じる者のために映画を作る」という姿勢を貫いた一本だ。

【作品情報】
原題:Glass
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ジェームズ・マカヴォイ、ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、アニャ・テイラー=ジョイ

配信情報:ディズニープラス(スター)

 

『オールド』(2021)
砂浜に取り残された家族が、加速度的に“老いていく”──
時間の異常を描いた極限スリラー

南国のリゾートにやって来た複数の家族が、案内されたのは人里離れた美しいプライベート・ビーチ。だがそこは“時間の牢獄”だった。数時間そこにいるだけで、子どもは青年になり、大人は老い、命が尽きていく。外に出ようとしても、意識を失って戻される。脱出不能のこの浜辺で、彼らは何が起きているのかを探り始める。

原作はフランスのグラフィックノベル『サンドキャッスル』。シャマランはこの素材に、“家族”と“死生観”という自身のテーマを重ね、独特のテンションを生み出している。設定はSFだが、描かれるのは恐怖よりも焦燥、混乱、そして時間がもたらす残酷さだ。

劇中では「成長」「病」「老い」が猛烈なスピードで襲いかかり、人々はつねに“取り返しのつかない選択”を迫られる。中でも子どもたちの急成長により生じるショッキングな展開は、観客の動揺を誘う。時間という概念の恐怖を、身体と感情で突きつけてくる異色作だ。

だが、説明不足な描写や唐突な展開に困惑する観客も多く、評価は割れた。終盤に用意された“ある種の種明かし”も、賛否両論を巻き起こしたが、シャマランらしい伏線構成と寓話性は健在。リゾートという美しい風景と、生の終焉という重いテーマのギャップが印象的な一作である。

【作品情報】
原題:Old
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ヴィッキー・クリープス、アレックス・ウルフ
配信情報:Netflix、ディズニープラス(スター)

 

『ノック 終末の訪問者』(2023)
世界を救うため、愛する人を犠牲にできますか?──
静かに迫る黙示録

森の奥の小屋で休暇を過ごす同性カップルとその養女。そこに突然現れる4人の見知らぬ訪問者。彼らはこう告げる──「この中の誰かを犠牲にしなければ、世界が終わる」と。理不尽で理解不能な要求に、家族は当然拒否する。だが、外の世界では実際に災厄が次々と起き始める──。

本作は、極限の心理状況を描く密室スリラーであると同時に、「信じるか、疑うか」というシャマランのテーマを凝縮した作品でもある。舞台はほぼ1つ、登場人物も少数。制約された空間の中で、観客もまた“世界の終末”を信じるべきかどうか、選択を迫られる。

ダヴ・バウティスタ演じる訪問者のリーダーは、不気味なほどに冷静で、礼儀正しい。彼の態度が逆に恐怖を増幅させ、暴力や狂気ではなく“確信”が人を追い詰めるという構造になっている。善悪や正誤ではなく、「覚悟」を問う物語なのだ。

原作はポール・トレンブレイの小説『終末の訪問者』。だが映画版は大幅に改変されており、特に結末はまったく異なる。シャマランはここで“希望を選ぶ”という自分なりの答えを提示しており、原作ファンからは賛否が分かれたが、監督としての意志が強く刻まれている。

信仰か不信か、愛か人類か──静謐な恐怖に満ちた一本であり、今のシャマランを語る上で避けて通れない作品だ。

【作品情報】
原題:Knock at the Cabin
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:デイヴ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジ
配信情報:U-NEXT、Amazon Prime Video

 

『トラップ』(2024)
娘と一緒に来たコンサート会場──
そこは“おとり捜査”の現場だった

人気ポップスターのライブ会場。父と娘が観客としてやってくるが、父の視線はステージではなく、客席を見回している。観客の興奮、異様な数の警備員、そわそわする警察関係者──このライブ、何かがおかしい。そして観客の中には、指名手配中の連続殺人犯が紛れ込んでいた──。

シャマランが本作で描くのは、コンサートという“密室”を舞台にしたリアルタイム・サスペンス。群衆に紛れた犯人、張り詰めた空気、裏で進行するおとり捜査。だがここからがシャマランらしい。観客が思う“誰が誰を追っているのか”という構図が、次第に裏返っていくのだ。

主演はジョシュ・ハートネット。彼が演じる男は、一見娘思いの優しい父親。だが彼の過去、そして“本当の目的”が明かされていくにつれ、観客の視点は揺さぶられ、正義と悪の境界が曖昧になっていく。果たして“トラップ”にかかっているのは誰なのか?

本作はシャマランの娘、サルカ・シャマランが演じる劇中アーティストのライブが物語に組み込まれており、映像的にも音楽的にも新たな試みに挑んだ作品となっている。また、テーマはシリアスながら語り口は軽快で、近年のシャマラン作品の中でもテンポ感が際立っている。

批評家からは「斬新な舞台設定と構成」「ある意味、シャマラン入門編に最適」との声も。複雑な謎解きではなく、構造の反転に主眼を置いた一作であり、シンプルだがじわじわと不安が増幅していく。

“安心してはいけない空間”を作ることにかけては、やはりこの男の右に出る者はいない。

【作品情報】
原題:Trap
監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
出演:ジョシュ・ハートネット、アリエル・ドンバスル、ヘイリー・ミルズ

 

シャマランの映画は、スリラーなのにしんみりしたり、ファンタジーなのに妙に現実的だったり、とにかくつかみどころがない。でも不思議とクセになる。わかりやすいエンタメとはちょっと違うけれど、だからこそ心に残る瞬間がある。「なんだこれ」と言いつつも、気づけば最後まで観てしまう。それが“シャマランだから許される”映画の魅力。

この機会にもう一度、その不思議な世界に入り込んでみては。