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【#観るべき100本】慈悲を謳いつつ、十字軍、魔女裁判、異端審問とか、とにかく血なまぐさい #キリスト教 の歴史。なんでそうなるの?遡っていくと、この映画「#パッション」に行きつく。 #メル・ギブソン が描くイエス受難の物語は公開当初死人が出来る程のショックを巻き起こした。

死の連鎖~キリスト教。その原点『パッション』

文:たんす屋(神社好きの中年Youtuber)

キリスト教って、無限の慈愛を謳う一方で、それに反比例するかのように死の影がつきまとってますね。

十字軍とか、魔女裁判とか、異端審問とか、日本でも島原の乱とかですか。。とにかく迫害されたり、戦争したり、内部で吊るし上げたり、実に血なまぐさい。

なんでそうなっちゃうのか?

そういう歴史を遡っていくと、この『パッション』で描かれる、いわゆるイエスの受難の物語に行きつくわけです。

パッション2 

ものを投げられ、つばを吐かれ、蹴倒されつつ、重い十字架を背負って、エルサレムの街を丘に向かって歩くシーンはそれこそ映画史に残る凄惨なシーンで、それだけならいいですが、傍らでその状況を見続ける母親・マリアの姿が目に入ると、

「ああ!これがホラーであってくれ、そしたら気が楽だ。」

と思うほど、心が締め付けられる。
(公開当初、実際にあまりショッキングな描写に死人が出る程でした。)

パッション4

でも、観ている我々以上にそう思ってる人達がその時いたのです。

(ここから映画と関係ないかもですが、)

他ならぬ、イエスの弟子達ですね。 

ユダという弟子はイエスを裏切り、ペトロという弟子はイエスを知らないといい、つまり自分の師匠を見捨て保身に走った男たちは、イエスの死に様を聞くにつけ、自責の念に苛まれたと思います。

ところがイエスはそんな弟子たちを恨みもせず死の間際まで神に民の許しを乞うていた、と聞いた時には自分がどれほど恥ずかしい存在に思えたことか、想像するに余りあります。

その後、一度は師匠を裏切った弟子達は、強烈なキリストの徒として復活します。

イエスの死はこれをもって意味をなしてくるわけです。

伝承では、初期キリスト教は殉教者の山ですね。リーダー格のペトロはローマで逆さ磔(はりつけ)ですから。ヤコブは石打ちの刑、ヨハネは油の煮えたぎる大釜に投げ込まれ、アンデレは十字架に、トマもマタイも殺されています。

 パッション3

イエス本人がどれほど意識していたかは謎ですが、最終的に彼が得意とする奇跡ではなく、惨めに死ぬことで人びとを救おうとしたことの影響力は計り知れない。

「弱者ゆえの力」という逆説のロジックを投げかけられた追従者たちは、その意味を理解するために膨大な仮説を構築し、死んでまでそれを証明しようとした。

さらなる追従者たちは、先達の屍に意味を見出して、同じ道を選んだ。

そして、その論理には“信仰”という名が与えられた。

「パッション」はだから、キリスト教の誕生の話なのでしょう。あれがなければ現代にいたる信仰はなかった可能性が高い。

多くの人を救ったことに疑いようの無いキリスト教ですが、その妥協なき論理は多くのドグマを生み、イエスの死を起点として、他の宗教では考えられないくらいの死の連鎖を生み出したことも確かです。

イエス本人が、そもそもキリスト教徒でも何でもないことから考えれば、実に人というのは無駄に意味を求めるもんだな、と思いますけどね。 

しかしなんで今頃「パッション」なのか。

自分でもよくわかりません。

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